前回読んだ本The Art of Spending Mondyの話の続きみたいになるんですが、めちゃくちゃ記憶に残ったエピソードがあったので、今日はそれを書かせてください。
1968年、世界で初めて「単独・無寄港・世界一周ヨットレース」が開催されました。
サンデー・タイムズ・ゴールデングローブ・レース。当時はまだ誰も達成したことがない、人類初の挑戦です。
エントリーしたのは9人。うち1人はヨット未経験者。そして——完走したのは、たった1人でした。
ここまで聞くと、「じゃあその完走した1人がすごい話なんでしょ?」って思いますよね。
ところが、です。
世界中が注目したのは、完走できなかった2人の方だったんです。
何か面白い話になりそうじゃないですか?
その2人——ドナルド・クローハーストと、ベルナール・モワテシエ。この対照的な2人の生き方は、「人生の重きを自分の外側に置くか、内側に置くか」で、人はここまで違う道を歩むのかということを、これでもかと教えてくれます。
極端な例ではあります。でも、だからこそ多くの人の心にグサッと刺さる話だと思うんです。
■ 一人目:ドナルド・クローハースト
ドナルドは、野心家でした。
ヨットレースで勝って一発逆転、それで家族や周りを幸せにできるのなら、嘘をついたって構わない——そういう考えの人でした。
ただ、彼には致命的な問題がいくつかあって。
これまでの仕事人生はほとんど失敗続き。ヨットも趣味程度で、しかも船酔いしやすく、近距離航海しか経験がない。資金もない。船もない。
それでも彼は、自作のナビゲーション機器をこのレースで売り込めば、ビジネスは再起できると考えました。
そこで資産家にスポンサー契約を持ちかけ、2つの約束をします。
ひとつ、自分を「セーリング界の天才」としてメディアに取り上げさせること。 もうひとつ、もし完走できなかったら、費用は全額返済すること。
この2つ目の約束が、後に彼の首を絞めることになります。
■ レース開始、そして地獄の始まり
出航直前、彼のヨットは装備も準備も全然間に合っていませんでした。妻にも止められました。でも彼にとって、このレースが人生そのものだった。
序盤からヨットは水漏れ。他の選手から大幅に遅れる。
世界一周完走——もう、物理的に不可能でした。
選択肢は2つ。
このまま続けるか。 辞めて帰って、破産するか。
……いや、彼には3つ目の選択肢が見えていました。
「航海してるフリをして、ちょうどいい頃合いに現れて、世界一周したように見せかける」
彼は航海日誌を2冊つけ始めます。1冊は嘘の座標を書いた「公開用」。もう1冊は嘘がバレないよう、実際の位置を記録した「本物」。
ところがここで、彼は痛恨のミスを犯します。
「驚異的なスピードで航海中」と報告しすぎてしまい、世間の注目を集めすぎてしまったのです。
■ 引き返せなくなった男
注目されすぎると、ゴール後に航海日誌を精査されて嘘がバレる。だから彼は戦略を変えました。
「1位は狙わない。目立たない2位でゴールしよう」
ところが運命は残酷で。
当時1位を独走していたナイジェル・テトリーが、「ドナルドが猛烈な勢いで追い上げてくる」と思い込み、無理を重ねた結果、ゴール目前の残り1,100海里で船が沈没してしまうのです。
繰り上げで、ドナルドが先頭になってしまった。
イギリスでは凱旋の準備が進む。優勝祝賀の段取りが整えられていく。
逃げ場を失ったドナルドは、大西洋のど真ん中で海に身を投げ、帰らぬ人となりました。
■ 二人目:ベルナール・モワテシエ
もう一人の主役、モワテシエは、ドナルドとは真逆の人物でした。
セーリングのベテラン中のベテラン。優勝候補の本命。誰もが彼の勝利を確信していました。
ところが彼は、名声に興味がなかった。
ヨットレースが商業利用されていくこと自体に、強い違和感を持っていた。
世界一周を達成すること、優勝すること、名前が残ること——そこに、彼は価値を見出せなかったのです。
そしてドナルドが海に身を投げたのとほぼ同じ頃、モワテシエは航路を変更します。
ゴールへは戻らず、タヒチへ向かった。
浜辺に家を建て、自給自足の生活を始め、航海についての本を書きました。
ちなみに、タヒチへの航路変更によって彼が走った距離は、結果的に単独無寄港航海の世界最長記録を樹立することになります。
でも、彼の本にはそんなことは一切書かれていない。
そう、彼にとってそんな記録は、心底どうでもよかったのです。
■ 内側か、外側か
ドナルドは、自分の業績や名声が「外からどう見えるか」にすべての意識を向けていました。
モワテシエは、自分の内側にある幸せの尺度にしか興味がなかった。
同じレースに出た2人が、こんなにも違う結末を迎える。
——どう生きるかって、結局のところ、自分の幸せの基準をどこに置いているかで決まるのかもしれません。
外に置けば、世間の評価に振り回される。 内に置けば、誰がどう見ようと関係ない。
僕はこの話を読んで、改めて、自分の内側に幸せの基準を持つことの大切さを考えさせられました。
なんとも、考えさせられる話だと思いませんか?